アンゴジの感謝と謙虚を忘れない。

感謝と謙虚がとても大事だとおもいます

20160716 生きたからこそ

自信を持つことにして半月ほどすぎました。

なにか変わったのかと言えば、変わったかもしれません。

過程はわかりませんが、いくつか結果が出てきました。

職場で知り合った先輩に仕事に誘われていたんですが、それを受けることに決めました。

また、ひさしぶりに会った(ほんとに偶然)同級生とLINE交換をして、ご飯を食べにいく予定をたててます。

「人にやさしく適度に真面目、少しおもしろい」ということに自信もったことによって、何かしらの事象が起き、一喜一憂して、人生が転がっていく感じがしてます。

その女性(同い年だし)とどうなるか、まだまだわかりません。ほんの一瞬会っただけだから。これからです。
でも、うまいことがんばっていけたらほんとに良いなと思います。


そこで大事なことは前の彼女への対応、態度、その結果反省したこと(かれこれ付き合い初めから数えて11年、別れて8年建ちました…ながっ!)をしっかり生かすことです。

それは一言で言うと
「自分の意見をしっかり出す!」
ということです。

彼女に流されて、彼女のご機嫌だけとって、良い奴ぶってても、ダメでした。

話をするときはしっかり話し合って、ケンカするときはケンカする。その先に別れが待っていようとも。

しかし、長かったなぁ。その間何もなかったんか?と聞かれたら何もなかったとしか言いようがない。自信がなかったんだから。


まずは彼女が自分の「アニー」なのか、「ソウルメイト」として感じるものがあるか、その判断から始まります。

数打てばそのうち見つかるやろ!というツッコミもおありでしょうが、私は一回一回真剣に向き合います。適度まじめなので。


20160628 生きていきます

去年から先輩に連れて行ってもらっていたガールズバーで、自信を持つきっかけを頂きました。
 

前回(数週間前)、何度かお会いしてる店員の方に自分の自信がない理由を話してました。 

今日もまたその話になったんですが、大丈夫、なんとかなるという言い方でこう言ってくれました。

「何でも良いから自信を一つ持てば、自信がつくよ」




たぶんこの文字面自体は何度も見たことがあります。本やらインターネットやらいろんな媒体で。

しかし、「生の人」に面とむかって「ことば」として言われたことは初めてでした。

そうなんだと、すんなり入ってきました。

これまでずっと悩んで考えていたことがバカらしかったとは思いません。

考えてきたからこそ、彼女の「ことば」が自分に入ってきたんだと思います。

誰かと話して「ことば」を身に受けるということがこんなにも力があるのかとびっくりするとともに、

何か自信を持とうと強く思いました。


そしてあまり考えずに出てきたのは、
自分は人にやさしくする、
ということについてはもしかしたら自信があるかもしれないと。
周りからよく言われているのですぐに思いつきました。

あと適度に真面目。真面目すぎず、不真面目過ぎない感じは常々想っていることです。

さらに、適度なジョーク。呆れられることが多いですが、呆れられても結果として笑ってもらうということは好きです。もちろん相手にヒットすればそれに越したことありませんが。


これらの思いついたことの良いところは、どれも人と比べることができないということです。
誰かと比べられることであっても構わないとも思いますが、
俺はこれで自信があるんだ!と言えば個々人の価値観の比較になり、まさに反論可能性のない議論になります。

と言うことでこの中から選ぶか、どれもだって思うかはこれから考えますが、とりあえずはこうします。

自分 は
「人にやさしく、適度に真面目で、時たまおもしろい」
という事に対して自信があります。

これで生きていくことができそうです。

ありがとうございました。

20160620 新しいカッパは間に合わない

あっという間に六月の三分の二が終わり、遺すところあと10日です。

あれから何か新しいことをしたかというと、先輩に連れられて行ったキャバクラのお姉さんとライン交換したとか、ガールズバーで自分の自信のなさの一番根底にあるであろう原因を話して盛り上がったとか、ですが、特に変わったこともなく。

ただ、「目の前の課題を一つ一つこなしていけば、自分が満たされていく」という言葉に出逢ったことは少しプラスの要素かもしれません。(ほぼ日のコンテンツにて)

いずれにしても、 気持ちに変わりはありません。



最近は
六月で“終わりだ”と考える頭と、

七月以降も“生きている”と考える頭が、
脳味噌の中で同居していて、意味がわからなくなってきました。

もちろん頭以外の部分は(主に口とか)、七月以降も生きてることを前提にしてますが。

生きて活動をしていると先々の予定が入ってきます。
逆に考えると、予定が入るから生きて活動しているのか?

全くもって意味がわかりません。

待ち遠しいプラモはカトキのMGサンダーボルトガンダムくらいで、しかし、MGカトキμや、MGV2ほどのインパクトはない。
しかし罪プラだけは山のようにある。作る時間はあるのだろうか…

(゚o゚;




20160613 さぁ!

最近はバイトと週二回の母親のリハビリへの送り迎え、祖父母の面倒(介護までいかない)で一週間が終わります。

もう30歳まで1ヶ月を切り、今考えていることは、誰かに頼りにされてることはたくさんあるけど、自分はどうしたいのかがわからないことです。

なにかやりたい目標はとうの昔に見失い(ないことはないが、霧がかかっており、その霧を自ら“はらう”こともしていない)、
自分が自分のために自分として生きていく理由がないと思ってます。
所謂「漠然とした不安」なのかもしれません。

そこで、30歳までに何かみつからなければ、消極的な行動をとる、ということを糧に今生きています。

その先の自分を考えたくないというただの逃げですが、なんだかもうどうでも良いかなと。

母のこれからの人生をどう考えたらいいか皆目検討つかないし、バイト先からは変に信頼されてるし、祖父母からは自分がいないと生きていけないうんぬん聞かされるし、兄は自分の家族のことしか考えてないし、弟は何がしたいのかわからない。

昔の彼女の夢をみてなんともいえないどんよりした気持ちになるし。


もちろん人のせいにしてるわけではありません。自分に責任があるわけですが、まあその責任に付き合うのが精一杯で零れて、潮時かなと考えているわけで。

ただ、こんな中、
目の前の過大をひとつひとつ片づけていけば、自然という自分は満たされる、
という趣旨の話を聞いて、なるほど、どんなことでもひとつひとつ向き合っていけばいいのか、そうすればおのずと生きていけるのかとも思いました。

が、やっぱり、満たすべき自分に穴が空いていたら、溜まるもんも溜まらない。堪りません。

すべてにおいて自分は自信がない。自身もない。


さぁ!どうしますか!

 

20160311

五年経ちましたが、今回、ひとつ考えがついたことがありました。

ちなみに震災のときは東京におりまして、帰宅難民になり、学校に泊まり、次の日何とか帰宅し、ひとり家に籠もって東北の状況をテレビで観て、大きい写真が多かった新聞をながめ、計画停電を過ごしていました。


本題に入りますと、 
きっかけは今日のほぼ日の記事。
東京電力の福島原子力発電所で働くお父さんをもつ娘さんのことばでした。
詳しくはほぼ日で見て、読んで、感じてほしいです。

んで、自分が思いついたのは、震災前に付き合って別れた方がいたんですが、
その方のお父さんもまた、東京電力で働いていたんです(その後どうなったか、今も働いておられるかどうかは存じ上げません)。

自分はそのことを「知っていた」はずなのに、彼女に対して、何もしなかった、何も考えなかった、何もできなかった。

震災以来、
あのとき自分にできることはなんだったか。今の自分にできることはなにか。
これから自分にできることはなにか。

ずっと考えてきたんですが、
あのときできたことの中のひとつは彼女に対してのことだったのかもしれない。

(彼女のことを考えたらものすごく複雑な気持ちになるのも、このことが原因としてあるのかも。)

だからと言って、今から彼女に対してどうしようと言うわけではなくて、できるわけもなくて、
それをひとつの事実として捉えて、
じゃあ、これから、今からどうしようかということで。

さて、どうしようか…




少なくとも、あれから五年たちました。
自分は毎日何かしら思いだし、何かしら考えています。




20160306

その後母は歩けるようにはなりましたが、左腕はほとんど動かないので、まだまだ入院中です。
私は先月中は大変でした。
一週目は無理なバイトをして、次の週インフルエンザにかかり、一週空けてまた一週間無理なバイトをして、
したら、九州の母方の祖母が亡くなり、車で母を連れて行ったりしたら、いつの間にか3月。

これからどうなるのか。

杖をついて歩き、左腕不随の母の生活がどうなるのか、
そんな母を支える父の生活がどうなるのか、

また
近くに住んで、主に私を頼る、
共に86歳で病院通いも多く、先が見えてきたようで、長く生きてくれるかもしれない祖父母はどうするのか。

働かない弟に対して私はどうしたらいいのか。

長年続けてきた勉強を再開する気にもなれず(これは只逃げてるだけなのか)、
どこか安定した職に就くための行動を起こすわけでもなく。

ただ近いからと始めたバイトでは仕事ができると勘違いされ、いろいろ責任を負わされ、クレームもバンバンいだくようになりました。


「死にたい」

先月93歳で亡くなった祖母はこの十年近く入退院を繰り返し、徐々に徐々に弱っていく体と戦っていました。
しかし、「頭」は死ぬ直前まで完璧とでも言える状態で、身体だけ変えられればまだまだ生きることができました。

だから、さえた頭で不自由な身体のまま生きたくないと、「死にたい」とよく言っていたそうです。
死ぬ前日に書いた最後の日記では、震えてうまくかけないにも関わらず、


「とにかく死にたいとそのことばのみ」

と読み取れる一文がありました。

しかし、その直後には、

「とにかく水分に気を使います」

と書いてました。

この日記には死と生が入り交じっているのかもしれません。


私も最近はずっとこんな気持ちです。心が特に疲れて、体も疲れて、死にたいと言う思いがあり、しかし、家族のことを考えるとそんなこと思ってられん。  

ああ。でもとりあえず、ゲームオブスローンズのシーズン3をHuluで観るまでは死ねませんが。