アンゴジの感謝と謙虚を忘れない。

感謝と謙虚がとても大事だとおもいます

人は[枠]だと思いついたことについて

考えていたんです。

大切な人が出来ることとと、失うことは、どういうことなのか。


前提として、糸井重里さんが、
人が死んだ場合、世界には、その死んだ人がいたところにそっくりその人のままの“穴”があいて、その穴は、存在し続ける
というようなことをおっしゃってました(穴というよりも凹って感じかも。ですが、わかりやすく、穴としておかしてください。)。


なるほどと思うわけです。
その人は死んでいないけど、その人の穴はある。その人がいたのはその穴をみれば確実で、その人の代わりになることがあればその分埋まるけど、
完全に埋まることは有り得なくて、世界に穴はあり続ける。




これをもとにつらつらかんがえました。


人は「枠」なんじゃないか。

その枠はわかりやすく言えば自分の形をしたもので、桶の底を抜いたものが(つまり側面しかない。)、人の形をしているイメージです。


生まれてきて、自分という枠ができます。色んなものを知って成長することで、その枠は広がります。ある意味、視野が広がる、ってことと近いところもあると思います。もちろん、色な事で枠は広がりますし、時には小さくなるかもしれません。



この枠の中には色んなものが入ってきます。
一時的に入ってきて、すぐに出て行くものもあれば、枠の中に留まり、ほかのものが積み重なって厚い層になっていくものもあります。例えば知識でしょうか。人間関係もそうかもしれません。


そして、その枠を持つ人にとって

「大切なもの」

(ここには、人だけに限らす、物も含まれます。)
は、枠の中で一定の場所を占めて、枠の中でがっちりと固定され、はては、枠の形さえ変えて存在します。

もし、この大切なものが何らかの理由で枠から外れて出て行ってしまったら。

なぜなら、所詮、枠にはまっているだけなので、何かの拍子に簡単に抜けてしまうことがありうるのです。内的要因にせよ、外的要因にせよ。




その、大切なものがあったところにはその形の穴があきます。

そしてこの穴は、決して完璧に埋めることはできません。似たようなもので取り繕っても、いずれはどこからか破綻します。


穴は穴としてそれをも含んだ枠として存在していくしかできません。

つまり、人は、枠をなにかで埋めながら生きていきますが、時には修復不可能な穴があいてしまいます。ですが、空いてしまった穴は塞いでも、それまでと同じようにはいきません。



例えば長く生きている人ほど、その枠は複雑であり、中も穴がたくさんあったり、塞いである穴があったり、詰まってるところがあったりと、おもしろいものなんでしょう。
また、そこまで、枠を成長させたっていうより、長らえさせた凄さがある。


大切な人を得ることは、自分の枠を埋める大切なピースを得たことになります。

大切な人を失うことは、自分の枠に大きな修復できない穴をあけることになります。



んん。


だらだら書いてきましたが、
人が「枠」としたら、では、どうするのか。
そこが一番大事ですが、そのことはまたそのうち考えてから書いてみたいと思います。

でゅわ!