アンゴジの感謝と謙虚を忘れない。

感謝と謙虚がとても大事だとおもいます

リザとキツネと恋する死者たち

リザとキツネと恋する死者たち Blu-ray

こんな映画初めて観た…とんでもなさと、素晴らしさが折り混じってよくわからん!

あらすじ

1970年代のハンガリーブダペストで、30歳まで世間を知らずに元日本大使の夫人の看病を続けてきたリザは、夫人の影響もあって大の日本大好きっこ。
その誕生日に夫人から許可をもらい素敵な出逢いをもとめて外出するが、次々と人が死んでいく…


感想
いや、ただの恋愛映画ではありません。

物語のキーとなるのは対称的な二人です。
まず、リザにだけ見える日本人歌手のトニー谷(幽霊としておきます)ですが、こいつがまた、カチッとした髪型で、黒縁メガネ、かっちりスーツを着たふるーい歌手でいい感じなんです。イケメンなんですがね。

こいつが拙い日本語で(すくなくとも流ちょうではない)歌を歌うんです。いや唄うと言った方がしっくりくる。

対して、もう1人は、周りで人が死にまくるリザを捜査するためリザの家の空き部屋に間借りした巡査 。ちなみにただのおっさん。バスタオル一丁で家の中を歩き回ったり、フィンランド音楽を大音量で聴いたり、いびきかいたり、さんざんなんです。

しかし、カッコイい。実際、トニー谷がリザの周りの人を殺しまくってたんですが、このおっさんはなかなか殺せない。
死なないんです。まさに…ダイハード!そう!ジョンマクレーン刑事なんですよ!何があっても死なない!同じかっこよさですわ。

しかも、めっちゃ良い人。

リザを巡るこの二人の対決です。

映画としてはうまくCGが使われていて、昔を舞台にしてますが、そんなことを微塵も感じさせないスタイリッシュな作りです。

そして適度について面白い。
リザが恋に走っている場面で時折挟まれる、ボロボロの家を修理している巡査と、その巡査を殺そうとあの手この手をつかってくるトニー谷のやりとりがおもしろい。
巡査のケガがどんどん増えていくのもまた見所です。

ただ、トニー谷が巡査を殺せないことをもう少し悔しがるというか、なぜ殺せないんだと驚くような表現があればなおよかったかなあと思いました。


全編に広がるゆるーい空気感と、適度なサスペンス要素、そしてしっかり感動させてくれる物語。
なんというか、観ないともったいない、恋愛映画です。



終わりに

こんな映画初めてみるわーという作品に出会う確率は年々低くなってきますが、それでもこうして出会えることは本当に嬉しいことです。

しかし、この映画を紹介してくれた人が、最近観たのはこれだって言って教えてくれたんですが、これをジャケット見ただけで借りたらしいので、素晴らしい感性をお持ちだと、すごいなぁとオレにどんぴしゃやないかと、思います。ありがとうございました。

星マックス!




20160716 生きたからこそ

自信を持つことにして半月ほどすぎました。

なにか変わったのかと言えば、変わったかもしれません。

過程はわかりませんが、いくつか結果が出てきました。

職場で知り合った先輩に仕事に誘われていたんですが、それを受けることに決めました。

また、ひさしぶりに会った(ほんとに偶然)同級生とLINE交換をして、ご飯を食べにいく予定をたててます。

「人にやさしく適度に真面目、少しおもしろい」ということに自信もったことによって、何かしらの事象が起き、一喜一憂して、人生が転がっていく感じがしてます。

その女性(同い年だし)とどうなるか、まだまだわかりません。ほんの一瞬会っただけだから。これからです。
でも、うまいことがんばっていけたらほんとに良いなと思います。


そこで大事なことは前の彼女への対応、態度、その結果反省したこと(かれこれ付き合い初めから数えて11年、別れて8年建ちました…ながっ!)をしっかり生かすことです。

それは一言で言うと
「自分の意見をしっかり出す!」
ということです。

彼女に流されて、彼女のご機嫌だけとって、良い奴ぶってても、ダメでした。

話をするときはしっかり話し合って、ケンカするときはケンカする。その先に別れが待っていようとも。

しかし、長かったなぁ。その間何もなかったんか?と聞かれたら何もなかったとしか言いようがない。自信がなかったんだから。


まずは彼女が自分の「アニー」なのか、「ソウルメイト」として感じるものがあるか、その判断から始まります。

数打てばそのうち見つかるやろ!というツッコミもおありでしょうが、私は一回一回真剣に向き合います。適度まじめなので。


20160628 生きていきます

去年から先輩に連れて行ってもらっていたガールズバーで、自信を持つきっかけを頂きました。
 

前回(数週間前)、何度かお会いしてる店員の方に自分の自信がない理由を話してました。 

今日もまたその話になったんですが、大丈夫、なんとかなるという言い方でこう言ってくれました。

「何でも良いから自信を一つ持てば、自信がつくよ」




たぶんこの文字面自体は何度も見たことがあります。本やらインターネットやらいろんな媒体で。

しかし、「生の人」に面とむかって「ことば」として言われたことは初めてでした。

そうなんだと、すんなり入ってきました。

これまでずっと悩んで考えていたことがバカらしかったとは思いません。

考えてきたからこそ、彼女の「ことば」が自分に入ってきたんだと思います。

誰かと話して「ことば」を身に受けるということがこんなにも力があるのかとびっくりするとともに、

何か自信を持とうと強く思いました。


そしてあまり考えずに出てきたのは、
自分は人にやさしくする、
ということについてはもしかしたら自信があるかもしれないと。
周りからよく言われているのですぐに思いつきました。

あと適度に真面目。真面目すぎず、不真面目過ぎない感じは常々想っていることです。

さらに、適度なジョーク。呆れられることが多いですが、呆れられても結果として笑ってもらうということは好きです。もちろん相手にヒットすればそれに越したことありませんが。


これらの思いついたことの良いところは、どれも人と比べることができないということです。
誰かと比べられることであっても構わないとも思いますが、
俺はこれで自信があるんだ!と言えば個々人の価値観の比較になり、まさに反論可能性のない議論になります。

と言うことでこの中から選ぶか、どれもだって思うかはこれから考えますが、とりあえずはこうします。

自分 は
「人にやさしく、適度に真面目で、時たまおもしろい」
という事に対して自信があります。

これで生きていくことができそうです。

ありがとうございました。

20160620 新しいカッパは間に合わない

あっという間に六月の三分の二が終わり、遺すところあと10日です。

あれから何か新しいことをしたかというと、先輩に連れられて行ったキャバクラのお姉さんとライン交換したとか、ガールズバーで自分の自信のなさの一番根底にあるであろう原因を話して盛り上がったとか、ですが、特に変わったこともなく。

ただ、「目の前の課題を一つ一つこなしていけば、自分が満たされていく」という言葉に出逢ったことは少しプラスの要素かもしれません。(ほぼ日のコンテンツにて)

いずれにしても、 気持ちに変わりはありません。



最近は
六月で“終わりだ”と考える頭と、

七月以降も“生きている”と考える頭が、
脳味噌の中で同居していて、意味がわからなくなってきました。

もちろん頭以外の部分は(主に口とか)、七月以降も生きてることを前提にしてますが。

生きて活動をしていると先々の予定が入ってきます。
逆に考えると、予定が入るから生きて活動しているのか?

全くもって意味がわかりません。

待ち遠しいプラモはカトキのMGサンダーボルトガンダムくらいで、しかし、MGカトキμや、MGV2ほどのインパクトはない。
しかし罪プラだけは山のようにある。作る時間はあるのだろうか…

(゚o゚;




20160613 さぁ!

最近はバイトと週二回の母親のリハビリへの送り迎え、祖父母の面倒(介護までいかない)で一週間が終わります。

もう30歳まで1ヶ月を切り、今考えていることは、誰かに頼りにされてることはたくさんあるけど、自分はどうしたいのかがわからないことです。

なにかやりたい目標はとうの昔に見失い(ないことはないが、霧がかかっており、その霧を自ら“はらう”こともしていない)、
自分が自分のために自分として生きていく理由がないと思ってます。
所謂「漠然とした不安」なのかもしれません。

そこで、30歳までに何かみつからなければ、消極的な行動をとる、ということを糧に今生きています。

その先の自分を考えたくないというただの逃げですが、なんだかもうどうでも良いかなと。

母のこれからの人生をどう考えたらいいか皆目検討つかないし、バイト先からは変に信頼されてるし、祖父母からは自分がいないと生きていけないうんぬん聞かされるし、兄は自分の家族のことしか考えてないし、弟は何がしたいのかわからない。

昔の彼女の夢をみてなんともいえないどんよりした気持ちになるし。


もちろん人のせいにしてるわけではありません。自分に責任があるわけですが、まあその責任に付き合うのが精一杯で零れて、潮時かなと考えているわけで。

ただ、こんな中、
目の前の過大をひとつひとつ片づけていけば、自然という自分は満たされる、
という趣旨の話を聞いて、なるほど、どんなことでもひとつひとつ向き合っていけばいいのか、そうすればおのずと生きていけるのかとも思いました。

が、やっぱり、満たすべき自分に穴が空いていたら、溜まるもんも溜まらない。堪りません。

すべてにおいて自分は自信がない。自身もない。


さぁ!どうしますか!

 

20160311

五年経ちましたが、今回、ひとつ考えがついたことがありました。

ちなみに震災のときは東京におりまして、帰宅難民になり、学校に泊まり、次の日何とか帰宅し、ひとり家に籠もって東北の状況をテレビで観て、大きい写真が多かった新聞をながめ、計画停電を過ごしていました。


本題に入りますと、 
きっかけは今日のほぼ日の記事。
東京電力の福島原子力発電所で働くお父さんをもつ娘さんのことばでした。
詳しくはほぼ日で見て、読んで、感じてほしいです。

んで、自分が思いついたのは、震災前に付き合って別れた方がいたんですが、
その方のお父さんもまた、東京電力で働いていたんです(その後どうなったか、今も働いておられるかどうかは存じ上げません)。

自分はそのことを「知っていた」はずなのに、彼女に対して、何もしなかった、何も考えなかった、何もできなかった。

震災以来、
あのとき自分にできることはなんだったか。今の自分にできることはなにか。
これから自分にできることはなにか。

ずっと考えてきたんですが、
あのときできたことの中のひとつは彼女に対してのことだったのかもしれない。

(彼女のことを考えたらものすごく複雑な気持ちになるのも、このことが原因としてあるのかも。)

だからと言って、今から彼女に対してどうしようと言うわけではなくて、できるわけもなくて、
それをひとつの事実として捉えて、
じゃあ、これから、今からどうしようかということで。

さて、どうしようか…




少なくとも、あれから五年たちました。
自分は毎日何かしら思いだし、何かしら考えています。