アンゴジの感謝と謙虚を忘れない。

感謝と謙虚がとても大事だとおもいます

20151129

弟と二人で面会に行きました。

母は左足の感覚が手よりはあるそうで、感覚があるってことは、治る可能性があるんだって、思うんですが、先生に話を聞けてないのでわかりません。

母に良いことを考えた?って聞いたら、仕事をしなくてすむのがいいことだって言ってました。
そういえば、仕事仲間が心配してると言ったら浮かない顔(たぶん)をしたので、そこは気にしてるのかもしれません。

親戚の口が達者でとても面白いおじさんがいるのですが、その人も同じく脳梗塞になって、元気になったのでそのおじさんの話をして、病気になってさらに口はキレキレになったやんかと言ったら笑ってくれました。それは本当に嬉かった。

しかし、3日経って自分が思ったのは正直これから生きるの辛いなってことです。母がではなく、自分がです。いろいろ考えることやしなきゃいけないことがありすぎて、なんだか辛い。でも、大切な人を無くす悲しみや辛さは今回初めてとても感じたので、自分がいなくなって母をそんな気持ちにするわけにはいかない。それこそ本当に辛い。ああ、だから無理心中や一家心中が起きるのか…と初めて理解できました。

もちろん、これからも精一杯生きていくつもりですが、そう思ったことは、これからの人生でのなにかしらのかてになるんだろうと。


日本でも人気のアメリカのドラマ、ウォーキングデッドのシーズン6最新話で、こんな話がありました。

ゾンビによって崩壊した世界で、恐いのはゾンビだけではなく、むしろ生きている他の人間です。
主人公のいる街の人たちを何の理由もなくいきなり襲った人間達を撃退した主人公の仲間のうちの一人が、そんな自分たちを殺そうとしたそいつらを逃がしました。

主人公はその仲間を詰問します。
なぜ奴らを殺さなかったのか。また違う人を殺すかもしれないし、もどってきてまた殺すかもしれないと。

しかし、仲間は答えます。
何が正解なのかわからない。彼らを殺したかったが、殺さないことで、将来、自分たちが救われるかもしれない。 
なにもわからないんだと。


私の好きな言葉は人生観万事塞翁が馬です。

良いことがわるいことにつながるかもしれないし、悪いことがいいことにつながるかもしれない。
人生何があるかわからず、物事を一概に良い、悪いと決めつけることはできない。

確かにその出来事だけを考えれば必ず悪いと言い切れることはたくさんあります。
フランスのテロだったり、東日本大震災だったり。

でも、その出来事からつながって起きるできごと全てが悪いことではありません。

テロが起きて、警備体制が厳しくなったから、さらに大きいテロが起きずにすんだかもしれない。テロによって、世界中の結束がつながり、ISに対してより強固な対応ができるようになるかもしれない。

地震によって、そのまま生きていれば絶対に会わなかっただろうと言う人と出逢って、絆が生まれたかもしれないし、防災への意識が変わったかもしれない。

忘れてはならないことは、良いことにつながるということは、悪いことにもつながるかもしれないということですが、
しかし、どんな出来事でも一方からではなく、見方を変えるということが大事です。

物事がどうなるかわからないし、物事はいろんな見方をする事ができる。


よくわからなくなってきましたが、誰にも言えないから、このブログに綴っております。