戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回 吉本隆明
なんというか、家族思いの普通のお父さんなんだけど、何か一つの考えに囚われることなく、言葉とは何かから、サブカルチャーまで幅広い分野を考えたすごい人…いや、普通の人??
その話の感じは
「いやいや、ちょっとかんがえたんですけど、私はこう思うんです。聞いてくれますか。」
と、物腰がとても優しいんです。
んでそんな優しい
吉本隆明さんのことを語る方々がたくさんてできたんですが、
皆さん
腑に落ちる物言いで、観てて何とも引っかからなかったんですが、
只一人、ある女性学者さんが傲慢無礼な、“超”上から目線で、吉本さんに影響を受けたと言いつつ、下に見てました。私あの人の言動を予想してましたわ。みたいな。ただ話をしてるだけなんだけど、腑に落ちない、とても不快に感じてしまう方でした。
はなしをもどして、吉本さんの立ち位置について
社会学者の橋爪大三郎さんは、そこで
戦後知識人と非常に違う点は 戦後知識人は、よく訳の分からないみんなを指導していきましょうという上から目線で そういう社会的ポジションにつく
吉本さんは みんな正しいのかもしれないけど、間違っているかもしれないので
私はみんなと違う場所にいます と言って
そのコストを全部引き受ける だから在野である
そして
知的に誠実であり続ける こういうやり方をしている と思う私はみんなが間違える可能性を
みんなが気づいてくれるために
みんなではない方向に独自存在として 犠牲になってもいいから正反対の可能性があるよってことを示す そういう存在でありたい 選びとっているんじゃないか
自分が大事と思うのは、
「正しいかもしれないし、間違っているかもしれない」
ということだとおもいます。
何か物事が「必ず、絶対」正しいということはなくて、正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。
だから、決めつける前に考えてみようってこと、そして、どちらかの選択をしなければならないこともない。
自己表出や、指示表出、国家幻想論、対幻想という言葉は本を読んでみないと分からないことかもしれませんが、
読まなくても、考えることができる一番心に残ったのは、糸井さんの本でもよく書いてある
言語の「幹」と「根」は沈黙なんだ
です。