アンゴジの感謝と謙虚を忘れない。

感謝と謙虚がとても大事だとおもいます

20160311

五年経ちましたが、今回、ひとつ考えがついたことがありました。

ちなみに震災のときは東京におりまして、帰宅難民になり、学校に泊まり、次の日何とか帰宅し、ひとり家に籠もって東北の状況をテレビで観て、大きい写真が多かった新聞をながめ、計画停電を過ごしていました。


本題に入りますと、 
きっかけは今日のほぼ日の記事。
東京電力の福島原子力発電所で働くお父さんをもつ娘さんのことばでした。
詳しくはほぼ日で見て、読んで、感じてほしいです。

んで、自分が思いついたのは、震災前に付き合って別れた方がいたんですが、
その方のお父さんもまた、東京電力で働いていたんです(その後どうなったか、今も働いておられるかどうかは存じ上げません)。

自分はそのことを「知っていた」はずなのに、彼女に対して、何もしなかった、何も考えなかった、何もできなかった。

震災以来、
あのとき自分にできることはなんだったか。今の自分にできることはなにか。
これから自分にできることはなにか。

ずっと考えてきたんですが、
あのときできたことの中のひとつは彼女に対してのことだったのかもしれない。

(彼女のことを考えたらものすごく複雑な気持ちになるのも、このことが原因としてあるのかも。)

だからと言って、今から彼女に対してどうしようと言うわけではなくて、できるわけもなくて、
それをひとつの事実として捉えて、
じゃあ、これから、今からどうしようかということで。

さて、どうしようか…




少なくとも、あれから五年たちました。
自分は毎日何かしら思いだし、何かしら考えています。




20160306

その後母は歩けるようにはなりましたが、左腕はほとんど動かないので、まだまだ入院中です。
私は先月中は大変でした。
一週目は無理なバイトをして、次の週インフルエンザにかかり、一週空けてまた一週間無理なバイトをして、
したら、九州の母方の祖母が亡くなり、車で母を連れて行ったりしたら、いつの間にか3月。

これからどうなるのか。

杖をついて歩き、左腕不随の母の生活がどうなるのか、
そんな母を支える父の生活がどうなるのか、

また
近くに住んで、主に私を頼る、
共に86歳で病院通いも多く、先が見えてきたようで、長く生きてくれるかもしれない祖父母はどうするのか。

働かない弟に対して私はどうしたらいいのか。

長年続けてきた勉強を再開する気にもなれず(これは只逃げてるだけなのか)、
どこか安定した職に就くための行動を起こすわけでもなく。

ただ近いからと始めたバイトでは仕事ができると勘違いされ、いろいろ責任を負わされ、クレームもバンバンいだくようになりました。


「死にたい」

先月93歳で亡くなった祖母はこの十年近く入退院を繰り返し、徐々に徐々に弱っていく体と戦っていました。
しかし、「頭」は死ぬ直前まで完璧とでも言える状態で、身体だけ変えられればまだまだ生きることができました。

だから、さえた頭で不自由な身体のまま生きたくないと、「死にたい」とよく言っていたそうです。
死ぬ前日に書いた最後の日記では、震えてうまくかけないにも関わらず、


「とにかく死にたいとそのことばのみ」

と読み取れる一文がありました。

しかし、その直後には、

「とにかく水分に気を使います」

と書いてました。

この日記には死と生が入り交じっているのかもしれません。


私も最近はずっとこんな気持ちです。心が特に疲れて、体も疲れて、死にたいと言う思いがあり、しかし、家族のことを考えるとそんなこと思ってられん。  

ああ。でもとりあえず、ゲームオブスローンズのシーズン3をHuluで観るまでは死ねませんが。



20160108

あけましておめでとうございます。

結果として1日中休めた日は一日もなく、たいそうな疲れだけ残して12月は終わりました。

あれから一週間、毎日母の面会に行ってます。
リハビリのおかげで足はなんとか動いて歩く練習もしてるんですが、左手はダメです。同じようにリハビリしているんですがほとんど動きません。
また、次に脳梗塞が起きたら、先生は「一+一は二ではない」と言ったらしく、その不安も残ります。

そんなこんなな母ですが、このまま順調に回復してもらいたいものです。



んで、今年始まってすぐ、ある、初めての場所に行きました。

会社の方数人とキャバクラに!



1人に1人ずつ座ってもらったんですが、
自分の隣に座って頂いた女性の方はとても美人で、髪が長く、とてもスラッとしたきれいな方でした。

その方は朝から違う仕事で働いていたらしく、声も枯れて、疲れはてていらした感じだったので、
どうしたら彼女のためになるか考え、あまり気を使ってもらわないように振る舞ったつもりでしたが、どうだったかわかりません。

どうしたらよかったのか、今も考えています。

すっと沈黙が続く時間も長くて、反省することばかりです。



しかし、キャバクラなりホストなりにハマってしまうということの理由がわかりました。

異性、特にキラキラ輝いた異性と話すということは、自らの見識を深めると同時に、精神的な疲れに対する癒やしに繋がり、満足感が生まれます。
だからもっともっとと、求めてしまうんだなと。



自分も、今回出会った方は本当に感じの良い、素晴らしい女性だと思ったので、もう一度会いたいと思いました(でも自分独りではキャバクラにいけそうにない)。



なにか少し自信をもらった気がします。




2016年の正月でした。









20151220

12月に入り、掛け持ちしてる仕事が共に繁盛期を迎え、さらに母の病院にほぼ毎日行ってるので、忙しすぎてなにがなんだかわからないまま20日経ちました。

この後休みという休みは1日しかなく、やっぱりこの後も忙しい。

しかし、後10日だけ。
なんとか乗りきろうと思ってます。


母はその後、1日三回ほどあるリハビリのおかけで左足は左手に比べると力が入るようになり、支えながら歩けるようになりました。

そんなリハビリ中の母をみていると、自分のこれまでの母に対する言動やらなにやらを猛烈に反省し、後悔し、泣きたくなってきます。

母が倒れて二、三日の死にたい気持ちは、忙しいことのおかげで無くなりましたが、ふとした瞬間に蘇るので、気をつけなければなりません。

これからも自分にはなにができるのか、母に何をしてあげれるのか考えてたら、できるだけ毎日顔を見に行くことだと思ってます。

あと、同じくらい大事なのが、父に対するフォローというか、態度、対応だなと常々感じながら、明日もなんとかいきますか。



20151130

母は生まれつきに脳に血管が無いところがあって、しかも血管が細いこともあって、さらに、治療が遅かったこともあり、完全に治らず、左手足が不自由になる可能性が高いそうです。  


血管ないとかそんなこと知らんかったし…

徐々に薬は効いているそうです。じわじわ血栓が溶けているみたいで、それはとてもよかったやないかと。

冗談も多少言っているみたいで、それは安心です。

が、その生まれつきの問題のせいでこの後どうなるかわからないとか…

20151129

弟と二人で面会に行きました。

母は左足の感覚が手よりはあるそうで、感覚があるってことは、治る可能性があるんだって、思うんですが、先生に話を聞けてないのでわかりません。

母に良いことを考えた?って聞いたら、仕事をしなくてすむのがいいことだって言ってました。
そういえば、仕事仲間が心配してると言ったら浮かない顔(たぶん)をしたので、そこは気にしてるのかもしれません。

親戚の口が達者でとても面白いおじさんがいるのですが、その人も同じく脳梗塞になって、元気になったのでそのおじさんの話をして、病気になってさらに口はキレキレになったやんかと言ったら笑ってくれました。それは本当に嬉かった。

しかし、3日経って自分が思ったのは正直これから生きるの辛いなってことです。母がではなく、自分がです。いろいろ考えることやしなきゃいけないことがありすぎて、なんだか辛い。でも、大切な人を無くす悲しみや辛さは今回初めてとても感じたので、自分がいなくなって母をそんな気持ちにするわけにはいかない。それこそ本当に辛い。ああ、だから無理心中や一家心中が起きるのか…と初めて理解できました。

もちろん、これからも精一杯生きていくつもりですが、そう思ったことは、これからの人生でのなにかしらのかてになるんだろうと。


日本でも人気のアメリカのドラマ、ウォーキングデッドのシーズン6最新話で、こんな話がありました。

ゾンビによって崩壊した世界で、恐いのはゾンビだけではなく、むしろ生きている他の人間です。
主人公のいる街の人たちを何の理由もなくいきなり襲った人間達を撃退した主人公の仲間のうちの一人が、そんな自分たちを殺そうとしたそいつらを逃がしました。

主人公はその仲間を詰問します。
なぜ奴らを殺さなかったのか。また違う人を殺すかもしれないし、もどってきてまた殺すかもしれないと。

しかし、仲間は答えます。
何が正解なのかわからない。彼らを殺したかったが、殺さないことで、将来、自分たちが救われるかもしれない。 
なにもわからないんだと。


私の好きな言葉は人生観万事塞翁が馬です。

良いことがわるいことにつながるかもしれないし、悪いことがいいことにつながるかもしれない。
人生何があるかわからず、物事を一概に良い、悪いと決めつけることはできない。

確かにその出来事だけを考えれば必ず悪いと言い切れることはたくさんあります。
フランスのテロだったり、東日本大震災だったり。

でも、その出来事からつながって起きるできごと全てが悪いことではありません。

テロが起きて、警備体制が厳しくなったから、さらに大きいテロが起きずにすんだかもしれない。テロによって、世界中の結束がつながり、ISに対してより強固な対応ができるようになるかもしれない。

地震によって、そのまま生きていれば絶対に会わなかっただろうと言う人と出逢って、絆が生まれたかもしれないし、防災への意識が変わったかもしれない。

忘れてはならないことは、良いことにつながるということは、悪いことにもつながるかもしれないということですが、
しかし、どんな出来事でも一方からではなく、見方を変えるということが大事です。

物事がどうなるかわからないし、物事はいろんな見方をする事ができる。


よくわからなくなってきましたが、誰にも言えないから、このブログに綴っております。




20151128

バイト終わりに初めて面会に行きました。

本当はこわくてどうしようか迷ってたんですが、母はなぜ俺だけ来ないのか、会いたいのにと思ってくれていると考え、また、自分ときちんと向き合うために行きました。

リカバリールームのガラス越しに見た母は、目をつぶって寝てるようでしたが、自分が部屋に入ると気がつきました。

家に帰りたい

と初っぱなに言われて、たくさんはなすことがあったのに忘れてしまいました。

体の不自由のせいか、あまりこっちを見てくれませんでした。

みんな心配してるとか言ってるうちになんとか落ち着きを取り戻したつもりでしたが、母の鼻かみの手伝いとタンを出す手伝いをして、こんなことするの初めてやな…とおもったりして。



しかし、いろんなことを考えているみたいで、頭はすごく働いているようでした。それは安心しました。

トイレに倒れて情けなかったとかいうので、そんなことはない、便器はほぼ新品できれいやってんからよかったやないかと、良かってんでと。弟も帰ってきてくれたし、よかったやないかと。

良いことをたくさん考えるんやで、良いことをな、と言って、母が好きなツムツムのハートを集めておくからと言ったら、少し嬉しそうにしてました。


帰り際、ガラス越しにこちらをじっとみる母と目があって、それはいつもの母のように感じました。